この女(ひと)を見よ (その1)

校の夏休みも終わりに近づいたころ、テレビのチャンネルを繰っていると競技場で行われているリレーの様子が映し出されていて、出場選手を見てみると小学生の女の子ばかりで、どうやら全国陸上競技大会の録画番組のようです。へえ、小学生の全国大会とは珍しいと、かみさんともども見守っていると選手紹介のテロップが入ります。入るには入ったものの、これが複雑怪奇、奇妙奇天烈と言いますか、まるで難解なクイズでも出されているかのごとく、その名前が私にはまったく読めないのです。
これは危ない! 最近ものごとの認識能力が低下してきたと感じていた矢先でもあり、とうとう私の脳も硬直してしまったのかと一瞬自己不信に陥ってしまいました。その後に行われた男子のリレー競技でもこれまたしかりで、すんなりと読める名前は2割程度しかありません。
こうしたややこしい命名の傾向というのは、あの「悪魔くん」騒動が1994年だそうですから、恐らく平成の初頭から始まっていたのでしょう。それがさらに複雑化の度を増して、いまや狂い咲きの様相を呈する時代とはなってしまいました。もともと自分の子供を差別化するための命名だったはずが、いまやみんなが同じ方向を向いてどっと命名ゲームに雪崩れ込んでしまったものだから、我が子の名前が一向に引き立ったものにならなくなってしまっているのだろうと推察いたします。なんか今年も読みにくい名前の生徒ばっかし集まりましたねえ、と、ぼやいている先生自身も何と読んだらいいのか戸惑うような名前の持ち主かも知れません。

かく言う私の名前も漢字そのものはごくありふれたものなのに「読み」に癖があって、病院や役所でも正しく呼んでもらったためしがありません。そのややこしい名前を付けたのはなんでも地元の神主さんだそうで、橋の下で拾ってきたと言い聞かされて育ってきた子に神主さんの名付け親とは腑に落ちねえやと思いつつ、ややこしい「読み」がなぜ起こったかを推量してみるに、大方、神主さんがしたためた命名札のふりがなが達筆すぎて親父が読み損なったのだろうとしか思えないのですが、それにしてもいまや世の中に蔓延する読みづらい名前というのは本人が成長して世界が広がるにつれていよいよ煩わしいものになっていくのではなかろうかと、自身の経験からして危惧せずにはいられません。



ということでこのおばさんも日本人からすると何と読んだらいいんだろうと言いたくなる名前の持ち主です。Antonina Krzysztoń女史はポーランドのフォーク系シンガーソングライターですが、この人のファミリーネームは一体どのように読んだものかとずっと気になっていたのです。最近になってWikipediaを翻訳してみると以前は出てこなかったカタカナ表記でアントニナ・クルシツェンという読みが表れました。ははあ、なるほどそう読むのですかと、長く鬱積していた胸のつかえがようやく取り除かれることとなりました。
そのアントニナ女史ですがいまや齢64ということで現役バリバリとは行きませんが、なぜか私は彼女のCDをこの前数えたら10枚も持っていることに気付きました。かと言って私が彼女の熱烈なファンというわけでもありません。が、ときどきはその音楽に強い魅力を感じたことがないではありません。下に掲げる「Psalm」はトルコあたりのパイプ楽器でしょうか、その強烈な響きを持った音色に彼女がそれ以前に作曲していたおとなし目の曲を乗っけたものですが、そのパイプの音の粗野な感じが私の嗜好にぴたりと合って小気味よく、例えるとまばゆい夕焼けの光芒の中でたゆたい、なびいていくシルキーな雲を見ているかのような趣きがあります。シルキーな雲とはすなわちアントニナ女史の歌声です。

https://www.youtube.com/watch?v=VnVqCGPOO00

そしてこの女(ひと)の歌を聴き進めるにつれ感じてしまうのが、その雰囲気にまつわる尋常ではない気質なのです。
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