高速で優秀な機械を使わない理由

機械をさわっていると、つい超高速回線と高速で快速なパソコンとかスマホでないと絶対にストレスがたまるとか?・・・そういうことを常日頃から考えていると、不便さとか貧乏で困ったときのことはどこかに飛んでしまって、現在の便利な世の中にどっぷりとつかってしまって、たぶんこれから高齢者になっていって体がより不自由になってくると、パニック状態になるのではないかなと思います。

 今の80歳以上の高齢者は、1950年以前の非常に不幸で不便な世の中(戦時体験・戦後の食糧難)の記憶が鮮明ですから、体が不自由になっても、何とか辛抱できるのだと思います。

だから、そういう論法でいくと仮定すると、自分は戦後生まれで便利な世の中の経験が多い団塊の世代の後の世代ですから、意識的に、低速の回線や古くて遅いPCやタブレット、スマホを好んで使っておかないと困ることになるのです。そうでないと、とうてい65歳以上では神経が持たないと思います。ちょっとでも、画面がフリーズしたり音声・動画が途切れ途切れになっても辛抱するような感覚でないと、とうてい高齢社会は生きてゆけない気が致します。

 だって、より高齢者になるにしたがって、自分の体自体の動きがカクカクとかフリーズするし、画像はぼんやりと不鮮明に見えるようになっていくのですから、機械ばかりに高度な要求をしても、それは、自己矛盾そのものだと思うからなのです。

つまり、たとえば、ハイビジョンの大型テレビを購入して音響装置も高価なものを設置したとしても、目が白内障や緑内症になったり耳が難聴になったり、腰が脊椎間狭窄症になったりすると、これはどうも、別の価値観を持たないことにはちょっと苦しいわけであります。いわば不満や不愉快さが多くて、気をつけて柔和になるように努めていても、やっぱりイライラした老後の生活をすごしていた・・・なんてことになりかねないのです。自分も含めてこれは、気をつけたいものです。

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